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セント・エルモス・ファイアー
2007.06.30(21:46)
原題 St. Elmo's Fire1985年 アメリカ
製作 ローレン・シュラー・ドナー
脚本 ジョエル・シューマカー、カール・カーランダー
監督 ジョエル・シューマカー
撮影 スティーブン・H・ブラム
音楽 デイヴィッド・フォスター
主演 エミリオ・エステヴェス、ロブ・ロウ、アンドリュー・マッカーシー、デミ・ムーア、ジャド・ネルソン
この映画は実によく出来た青春映画の傑作のひとつに数えられると思います。
セント・エルモス・ファイアーをみていて、90年代にヒットしたリアリティー・バイツと重なる部分がありましたが、セント・エルモス・ファイアーの方がより、切なく、若者のやりきれなさ、大学を出たばっかりの若者たちの苦悩というのがより厳しく描かれていると思います。
ストーリーは、米国のワシントンの名門大学を卒業した仲良しの7人が、それぞれの卒業後の仕事であるとか、友人の間において発生した恋愛問題などに苦しむという話です。
この頃の青春映画によくでてくる、ロブ・ロウであるとか、アンドリュー・マッカーシー、デミ・ムーアなどの若い頃の姿をこの映画で観ることが出来ます。
私はこの映画を観る前に、「どうせ、お気楽、極楽な80年代の青春映画だろう」という風にとらえていました。観る前に固定観念でもって映画を判断することはよくないことですね。
思った以上にすぐれた映画だと思いました。
登場人物が多いことで、まとまりのない映画なのではないかともはじめは思いましたが、最後まできちんと複数の登場人物の人生が入れ替わることで、また、それぞれの人生が重なり合うことで、一つの青春映画になっています。
ラストまで観切ると、ちょっと痛々しい切なさというものが残る映画ですが。
それは、この映画に出てくる若者たちを、それぞれ、「何もつかんでいなくて、苦悩している有様」というものを克明に描いているからだと思います。
「何かを達成する」というストーリーでない場合には、このセント・エルモス・ファイアーのように、人生の割り切れない部分というものがどうしても浮かび上がってくるものです。
ただ、個人的には、この映画の中で、弁護士を志望していたカーボ(エミリオ・エステヴェス)が、女医をしているデール・バイバーマン(アンディ・マクダウェル)に対して恋する話に関しては、「ちょっと、これは掘り下げが足りないのではないか」という風に思いました。
カーボの情熱的という風に描かれている行動が漫画的に見え、最終的に「あれは何だったのか」という風な終わり方になっています。単に、カーボという男が表現する、“男の純情”というものを描きたかっただけなのかどうなのか、よくわからないですが、アンディ・マクダウェルのファンのひとりとしては、ちょっと物足りない部分ではありました。
ザ・コーポレーション
2007.06.30(20:51)
原題 The Corporation2004年 カナダ
製作 マーク・アクバー、バート・シンプソン
脚本 ジョエル・ベイカン
監督 マーク・アクバー、ジェニファー・アボット
音楽 レナード・J・ボール
主演 マイケル・ムーア、ノーム・チョムスキー、ナオミ・クライン、ジェーン・エイカー、レイ・アンダーソン
このドキュメンタリー映画は、中々ものすごい迫力をもっていて、それとともに、「企業というものはどういうものなのか?」ということを考えさせられる映画です。
全体の時間が145 分と非常に長いために、私はこの映画を観る前にかなりの気合を必要としました。ある種の忍耐力がいるといいましょうか。ただ、途中で投げ出さなければ、観終わったあとに確実に何かが心の中に残る映画であることは確かです。
この映画の出演者には、有名なマイケル・ムーアや、ノーム・チョムスキー、ナオミ・クラインなどがいます。それから、巨大企業のCEOが出演したりと、なかなか面白い趣向だと思います。
資本主義というシステムを考えると、それは矛盾に満ちたものなわけでして、実際のところ、私たちはどこかで働いている限り、環境を破壊したり、様々な社会的な害悪というものを撒き散らす側に与しているわけです。
一方、資本の側に目を向けると、やれ、「社会的な活動に貢献している」だとか、「寄付を行なっている」などといって、自らの罪というものを隠そうとするわけです。公害問題や、第三世界の人々の搾取といった企業の問題は根が深く、そう簡単には解決しないのは分かりきったことではありますが、それでも、企業というものが営利追求のためであるのなら、それこそ鬼になって、何でもすることはもうこれは誰の目にも明らかなことです。
また、企業というものに属することで、個人としてはまともな良心をもっている人間が、反社会的な行動を平気でするというような側面にも深くこの映画は切り込んでいて、実に観ていて勉強になる映画です。
ただ、人が存在するという時点ですでに、もう矛盾を抱えた存在である限りにおいて、簡単には企業批判というものが出来ないことも確かなことです。
というのは、現代の世界というのが資本主義を抜きにしてはもう生存すら出来ないということは明らかなわけです。飯を食うにも、自給自足の生活ということを実践できるのは世の中で限られた人々だけです。「環境を破壊しないために、人類に害毒を及ぼさない生活をする」というために、たとえば、山にこもるなどという行動をおこすためにも、やはり、最初は資本が必要であることはいうまでもありません。
だから、本当に難しい問題だと思います。
ただ、矛盾があることが明らかであるということを抜きにして、この「ザ・コーポレーション」のような映画が出来ることは、とても意味のあることだと思います。
こういった映画は普段、何気なく日常生活を送っていて、気がつかない、あるいは忘れかけているモノを気づかせてくれる映画だからです。
ドキュメンタリー映画 |
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ユー・ガット・メール
2007.06.30(20:45)
原題 You've Got Mail1998年 アメリカ
製作 ノーラ・エフロン、ローレン・シュラー・ドナー
脚本 ノーラ・エフロン
監督 ノーラ・エフロン
撮影 ジョン・リンドレイ
音楽 ジョージ・フェントン
主演 トム・ハンクス、メグ・ライアン
この映画は実に心が温まる恋愛映画だと思います。
ストーリーは、ニューヨークで絵本の店を営むキャスリーン(メグ・ライアン)が、大型安売り本屋の息子ジョー(トム・ハンクス)と知り合い、互いに対立しながらも、ひかれあっていくという話です。
インターネットのメールを通じて、お互いに相手のことは知っていたにもかかわらず、そして、ふたりはメールの世界では非常に仲がよかったのですが、現実世界においては本屋の経営ということで、対立しあっているという部分が面白かったと思います。
いわゆる、「出会い系サイト」で知り合った男女が、メールの世界でお互いを知って行くという、そのあたりを非常に繊細に表現している作品ではないでしょうか。1998年の作品でありますから、ちょっと古いわけです。キャスリーンが自宅のパソコンを立ち上げるときに、おそらくダイヤルアップ回線からなのでしょうか、「ピコ、ピー!」というあの独特の音がするのもちょっと時代を感じさせます。
メグ・ライアンとトム・ハンクスのふたりの魅力というものが存分に発揮された映画だと思います。
ただ、不満であったのは、ジョーが経営する大型書店が、街の小さな書店を駆逐していくという資本主義の象徴というような経営のダイナミズムに対して、それそのものについては映画の中であまり深くは追求していなかったということです。
いちおう、ジョーの心の中での葛藤というものは少しは描かれていますけれども、単なる「冷酷な資本主義者」という印象ばかりが残ってしまいました。
ただ、うがった見方をすれば、このユー・ガット・メールが、あのようなストーリーになっているというのは、現代アメリカの資本主義社会に対する、一つのアイロニーになっているという風にとらえてもいいかもしれません。
シャル・ウィ・ダンス
2007.06.30(20:40)
原題 Shall we Dance?2004年 アメリカ
製作 サイモン・フィールズ
脚本 オードリー・ウェルス
監督 ピーター・チェルソム
撮影 ジョン・ド・ボルマン
主演 リチャード・ギア、ジェニファー・ロペス、スーザン・サランドン
これは、中年男性のダンスを通した淡い恋心を描いた作品ですが、あまり感動はしなかったです。
ストーリーは、遺言書を作成する弁護士(リチャード・ギア)が、たまたま通勤電車の車窓の外にあったダンス教室いる美女(ジェニファー・ロペス)をみて、社交ダンスを始めるという物語です。
下世話な物語をそれなりに期待して観たわけですが、この作品は映画の全体を通して、煮え切らない話の展開になっていますし、主人公のジョン・クラーク(リチャード・ギア)が、ダンス教室の美女のポリーナ(ジェニファー・ロペス)とドロドロの関係になって、家庭崩壊のような惨劇を迎えるといった悲劇でもありません。
特に、心を揺さぶられるといったシーンもありませんし、ところどころに作り手が苦心したであろうユーモアも垣間見られますが、それにしたところでたいして心に残らなかったことが残念です。
リチャード・ギアという役者の本分であろうところの、「内に秘めた危険性」といった魅力もほとんど感じられず、まあ、役が役なのでありますから、そういったものを期待するのが間違っているともいえなくもないのですが。
しかし、中途半端に話が終わっているということはどうしても指摘しておかなければならないことでしょう。「いい人」を描くというのは実に難しいことであるというのが、この映画を観るとよくわかります。
作品は、家族の価値や大切さというものをメッセージとして伝えようとしているのはよくわかりますが、道徳的なことというのはよほどうまくシナリオを練らない限り、あまり人の心に訴えないものなのだなあと思いました。
スパニッシュ・アパートメント
2007.06.30(18:07)
原題 L’Auberge espagnole2001年 フランス、スペイン
製作 ブリューノ・レヴィ
脚本 セドリック・クラピッシュ
監督 セドリック・クラピッシュ
撮影 ドミニク・コリン
音楽 ロイク・デュリー
主演 ロマン・デュリス、ジュディット・ゴドレーシュ、オドレイ・トトゥ、セシル・ド・フランス、ケリー・ライリー
この映画は、ヨーロッパへの留学であるとか、バックパッカー旅行が好きな人は観ると楽しめる映画かもしれません。
ストーリーは、作家に憧れる若者グザヴィエ(ロマン・デュリス)が、スペインへ留学をし、バルセロナでヨーロッパ各国から集まった若者たちと一つのアパートで共同生活をするという話です。
正直言って、あまりたいしたことはない映画だとは思いますが、それにもかかわらず、「ヨーロッパの雰囲気」を味わうためだけにこの映画を観る価値はあります。
人物については、主人公のグザヴィエは決して魅力に富んだ男というわけでもないし、観る人が熱心に感情移入が出来るような役者でもないと思います。
しかしながら、主人公のグザヴィエと母親の関係を、ちょっとマザコン気味に描いているというのは細かい演出だと思いまして、作家の気質のある男というのは、三島由紀夫も指摘しているようにマザコンの気質があるようです。
気になったシーンでいうと、グザヴィエが道ならぬ恋に陥り、アンヌ・ソフィ(ジュディット・ゴトレーシュ)と肉体関係を結ぶシーンで、グザヴィエが裸になり、アンヌのほうは服を着たまま交わっているのを観て、何とも情けない有様だと、可笑しくなってしまいました。
ああいったシーンで、男だけが裸になっているというのは、男の方の必死さが伝わってきて痛々しいものです。
あえて、「若さ」とか、「必死さ」を伝えようとして、ああいう風にグザヴィエだけを裸にしたのかどうなのか私は知るよしもありませんが。
七年目の浮気
2007.06.30(17:59)
原題 Seven Year Itch1955年 アメリカ
製作 チャールズ・K・フェルドマン、ビリー・ワイルダー
監督 ビリー・ワイルダー
撮影 ミルトン・クラスナー
主演 マリリン・モンロー、トム・イーウェル、イヴリン・キース
この映画はマリリン・モンローが主演した映画の中で、かなり面白い作品の一つにあげられると思います。
ストーリーは、雑誌社に勤務するリチャードが妻子のいないバカンスの時期に、アパートの真上に住んでいたブロンド美人(マリリン・モンロー)に恋心を抱くという話です。
テンポはかなりゆっくり目の映画であり、現代的なスピード感覚でいうと、観終えるまである種の忍耐力が必要となる映画ではありますが、この映画には男女間の心の機微と、恋する男の愚かさといったものが、非常にうまく表現されているのが見所です。
映画の中で興味があったのが、主人公のリチャードが「七年目のムズムズ」だといって、指をムズムズさせるシーンです。結婚七年目にして、ちょっと倦怠期に入った妻帯者が、自身の内面の葛藤を、指をムズムズさせることで表現しているのは実にばかばかしく、こういったテイストは素晴らしいものだと思いました。
マリリン・モンローという女優は、男心をくすぐるという点では他に類を見ない女優ではありましょうが、この映画でも、優しく、そしてグラマラスで奔放な役を演じています。マリリン・モンローの魅力というのは、競争社会において疲労した男を徹底的にその「たれ目」でもって慰めるとでもいいましょうか。
「たれ目」の女性というのは、古今東西広しといえども現実的に、我々の周囲を見渡してみてあまり見かけるものではありますまい。
人間というものは、子供時代をへて、大人になるにつれて、「たれ目」で「ぼんやり」としていられないほど、さまざまな生存競争に巻き込まれますし、そうした現実の世の中において、「たれ目」でかつとびきりにセクシーな女優であったマリリン・モンローという女優に世界の多くの男たちが魅了されて、そのとりこになったというのはあながち不思議なことでも何でもありません。
また、「七年目の浮気」という映画は、男の馬鹿さ加減というものも知り尽くした人物が作ったような映画であり、それはときにユーモラスではありますけれども、なんとも言えない情感と哀愁が垣間見られるというのも、この映画の素晴らしさの一つに数えられるでしょう。
ふたりの男とひとりの女
2007.06.30(17:41)
原題 Me Myself & Irene2000年 アメリカ
製作 ブラッドレイ・トーマス、ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
脚本 ピーター・ファレリー、マイク・セローネ、ボビー・ファレリー
監督 ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
撮影 マーク・アーウィン
音楽 ピーター・ヴォーン、リー・スコット
主演 ジム・キャリー、レニー・ゼルウィガー、アンソニー・アンダーソン
この映画は心温まるコメディー映画の一つであると思います。
ストーリーは、アメリカのロードアイランド州の警察の警官チャーリー(ジム・キャリー)が、自分のお人好しな性格に性格に悩み、怒りと憤懣をつのらせて、ついに暴力的で粗野な性格のハンクを生み出してしまい、極端な二重人格によって周囲の人間を巻き込むというドタバタ喜劇です。
この映画のチャーリーのような性格、すなわち、気が弱く自己主張が出来ず、社会の中でいい関係性を保つことが出来ないという性格の人物が、アメリカ合衆国にもいるということ、そのことを確認するだけであってもこの映画を観る価値はあると思います。
一方で、粗野で思ったことを口にするという性格のハンクを対比させることで、極端な手法ではありながら、ある種の現代的な人間像というものが浮かび上がるというものだと思いました。
ジム・キャリーはいわゆる「顔芸」の人であるし、顔面の筋肉を上下左右に動かすことによって名声を勝ち得た役者の一人であると思います。作家の清水義範氏は、その著作の中で「顔芸の芸人は長続きしない」ということを述べられておりますが、はたして実際はどうでしょうか。
私は、ジム・キャリーという芸人に顔芸以上の才能をみており、近年、単なる顔芸役者からの脱皮をはからんとするかのような動きもみられ、例えば、純粋なるヒューマンドラマのような映画にも出演しているようですし、今後の活躍がますます楽しみな役者であります。
この「ふたりの男とひとりの女」では、レニー・ゼルウィガーが、ジム・キャリーの相手役として、実にいい演技をしています。いや、演技というよりも、彼女の若さと溌剌さが目立つ作品だといったほうがいいでしょう。
この映画の最大の特徴は、徹底的なブラック・ユーモアであったり、差別ギャグにあると思うので、実際、かなり際どいことをジム・キャリーが喋ったり、ほかの役者が表現していますが、それにもかかわらず下品な印象がしないのは、監督と脚本を担当したボビー&ピーター・ファレリー兄弟の力量によるところが大きいのでしょう。
ハイ・フィデリティー
2007.06.29(19:55)
原題 High Fidelity2000年 アメリカ
製作 ティム・ビーヴァン、ラッド・シモンズ
脚本 ディー・ヴイ・デヴィンセンティス、スティーヴ・ピンク、ジョン・キューザック、スコット・ローゼンバーグ
監督 スティーブン・フリアーズ
撮影 シーマス・マクガーヴィ
音楽 ハワード・ショア
主演 ジョン・キューザック、イーベン・ヤイレ、トッド・ルイーゾ、ジャック・ブラック、リサ・ボネー
この映画は音楽好きな人、ロック好きな人にはたまらない映画でしょう。
ストーリーは中古レコード店を経営するロブ・ゴードン(ジョン・キューザック)が、一緒に暮らしていた恋人ローラ(イーベン・ヤイレ)が家を出て行ったことをきっかけに、自分自身のこれまでの恋愛を振り返り、失恋トップ5の女性たちを次々と訪問するというものです。
やたらと、主人公のジョン・キューザックのモノローグが多い映画ですが、一つ、一つのセリフがきちんとしていて意味をもっているものなので、それなりに最後まで楽しめる映画です。
ジョン・キューザックがさりげない格好をし、実にさりげない演技をしています。というのは、あまり目立たないキャラクターというものを意識的に演じていて、そのことによって作品の中で役者としての存在感がかえって際立ってみえるような演技だからです。
ロブの中古レコード店のアルバイト店員である、ディック(トッド・ルイーゾ)とバリー(ジャック・ブラック)、この二人との会話も実にマニアックであり、軽妙で面白いです。
メディカル・レッスン 青春解剖学
2007.06.29(19:45)
原題 A CUT ABOVE/GROSS ANATOMY1989年 アメリカ
脚本 ロン・ナイスウェイナー&マーク・スプラッグ
監督 トム・エバーハート
主演 マシュー・モディン、ダフネ・ズニーガ
この映画は、マシュー・モディンが出演している映画であるという、ただそれだけの理由で観ました。中々の80年代青春映画であると思います。
80年代の青春映画というものをどのように規定すればいいかという問題は、映画ファンであればとても重要なことだと思うんですが、やはり、テーマとして「あまり、深刻ぶらないスタンス」であるとか、「明るさ」というものがあると思います。
このメディカル・レッスンという映画も、とても明るい映画です。医学生のジョー・スロバク(マシュー・モディン)を取り巻く友人や恋人との物語、というのが全体のストーリーであって、ジョー・スロバクはなぜか、勉強もスポーツもこなすスーパーマンという設定になっています。
ジョー・スロバクは、暗記力がやたらといいという青年であり、試験勉強をあまりしなくてもテストで好成績を残します。「天才」というのがよく物語のテーマとして出てきますけれど、ある種、こういったメディカル・レッスンのような映画というのは、鑑賞していて肩が凝らなくていいという印象があります。
頭の中でほとんど何も考える必要がないのです。すなわち、ストーリーを一生懸命に追う必要もなければ、登場人物の心の動きというものに気を配る必要もありません。
私はこういった映画というものを非常に大切に考えていまして、人々の心にいつまでも残る作品では必ずしもないかもしれませんが、心の疲れは確実に癒してくれるだろうという作品だと私は思います。
もう一つ、問題点をあげるとするならば、こういった映画が作られるということは、それだけ、人々が「青春」というものに対して、かくあるべきだという期待があり、この映画のような楽しい青春、華々しい青春を送れなかった人々というのが、この映画を観て失われた青春を取り戻すという機能があると思うのです。
それは実際に、青春期の真っ只中にいて、青春を謳歌していないような若者にもあてはまることです。
映画には、そういう自己耽溺のような作用があって、それが正常に作用している限りは想像力の力によって、自己の想念の中で喜びを味わえるのであるから、それはそれで素晴らしいことだと私は思うのです。
アシッド・ハウス
2007.06.29(19:34)
原題 the acid house1998年 イギリス
脚本 アーヴィン・ウォルシュ
監督 ポール・マクギガン
主演 ユエン・ブレンナー、ケビン・マクギッド、スティーブン・マッコール、アーリーン・コックバーン
この映画はトレインスポッティングの原作者、アーヴィン・ウォルシュの短編集がオリジナルの作品であって、アーヴィン・ウォルシュはこのアシッド・ハウスで脚本もつとめています。
3話のオムニバス作品であり、おもに、イギリスの労働者階級の若者の生活というものを克明に描いています。
3話はいずれも、人生のどうしようもなさ、生活における絶望感というものを根底のテーマとしており、2話目が一番切ないですね。
2話目というのが、「気のいい若者」が妊娠した、どちらかといえば奔放が過ぎる女性と出会って、結婚してしまい、その女性をアパートの隣人の男に寝取られるという話です。
隣人の男は野蛮なチンピラであって、あらゆるこの世の悪徳というものがその肉体に詰まったかのような、そんな男です。
奥さんとそのチンピラの男に翻弄されつつ、それにもかかわらず、奥さんを愛してしまうというその人間性にかかわるどうしようもなさ、人間の心の弱さといったものをアーヴィン・ウォルシュはうまく描いていると思います。
「弱者の視点に立った作品」であるとか称するには、あまりにも切なく、絶望的なので、それくらい悲劇というものに正面から立ち向かった作品ということでかなりの価値があると思います。
また、華やかなロンドンの街並みなんかとは全く異なった、イギリスの労働者階級の街というのが鮮明に映し出されています。
イギリスの労働者階級の生活というのは、これほどまでに残酷であって、その絶望感たるや我々の想像を絶するものであると、そんな作り手のメッセージが伝わってくるような映画です。
映画全体についていうと、3話ともイギリス特有の、ユーモアや皮肉といったものが作品の根底に流れており、それがまた映画を単なるメロドラマでなくさせている要因ではないかと思います。
最後におまけで付け加えておくと、この映画の3話目で、トレインスポッティングに登場したユエン・ブレンナーがサッカー好きの青年の役で出ています。
この役者は実に面白いキャラクターだと思います。異形の存在感というものを際立たせていて、現代イギリスにおける素晴らしい俳優の一人ではないでしょうか。
ロンリー・ガイ
2007.06.29(19:26)
原題 The Lonely Guy1984年 アメリカ
製作 アーサー・ヒラー
脚本 エド・ウエインバーカー、スタン・ダニエルズ、ニール・サイモン
監督 アーサー・ヒラー
主演 スティーブ・マーティン、チャールズ・グローディン、ジュディス・アイヴィ、ロビン・ダグラス
スティーブ・マーティン主演のコメディー映画の中では、これはかなり哀愁の漂う作品です。
ストーリーは、恋人にふられた作家志望の男、ラリー(スティーブ・マーティン)が公園で知り合った男、ウォレン(チャールズ・グローディン)に、「友達も恋人もいない男はロンリー・ガイだ」といわれ、“ロンリー・ガイ”と呼ばれる男たちがいることを知らされるところから始まります。
都会人の孤独というものを真正面から、そして、コミカルに描いた作品であり、時に馬鹿馬鹿しいナンセンス・コメディーを提示しつつも、この映画にはなんとも言えない情感といったものが漂い、観る人をじんわりと切なく感動させる映画になっています。
映画の主人公、ラリーが執筆した「ロンリー・ガイの手引き」という本がベストセラーになって、ラリーは一躍人気者になるという筋立ても、これも実にアメリカ映画的で、いい意味で面白いと思います。
また、チャールズ・グローディンの暗く切ない演技というものが、映画を際立たせるのに役立っています。チャールズ・グローディンというのは、ミッドナイト・ランでもあの映画のときは、会計士の役で出ていましたが、どことなく、ひ弱で大人しいというキャラクターの持ち主であるにもかかわらず、実に画面の上での存在感というものが巨大な俳優であると思いました。
名脇役という言葉は、チャールズ・グローディンにふさわしいものなのではないでしょうか。
映画全体の話でいうと、この話はアメリカ的な富と名声を求める立身出世の物語を描くとともに、それを獲得する過程において、大切なものが失われていくというメッセージが、この映画には根底に込められているような気がします。
富と名声を得た主人公のラリーが、何もかも手に入れた状況において、それにもかかわらず孤独であるということ、孤独とは何かというものを考えさせられる映画です。
ケープ・フィアー
2007.06.29(17:02)
原題 Cape Fear(1991)1991年 アメリカ
製作 バーバラ・デフィーナ
脚本 ウェズリー・ストリック
監督 マーティン・スコセッシ
撮影 フレディ・フランシス
音楽 エルマー・バーンスタイン
主演 ロバート・デ・ニーロ、ニック・ノルティ、ジェシカ・ラング、ジュリエット・ルイス
この映画は、復讐というテーマに真っ向から挑んだ作品であり、主人公の執拗な復讐の仕方、追い詰め方といったものに観る人は度肝を抜くであろう映画です。
私は、マーティン・スコセッシが監督し、ロバート・デ・ニーロが出演した作品しか観たことがないので、このマーティン・スコセッシ版のケープ・フィアーについて解説することにします。
ストーリーは、出所したマックス(ロバート・デ・ニーロ)が、かつて自分を裁判で救うことが出来なかった弁護士サム・ボーデン(ニック・ノルティ)に復讐を果たすために、弁護士とその一家を破滅に追い込もうとする物語です。
ロバート・デ・ニーロがこの映画でも素晴らしい演技をしており、マックスの残忍性や、その異常にも思われる復讐の信念を軸とする、執着心溢れるその性格をうまく熱演しています。
この映画では、マックスと弁護士一家の生活というものを対比させて描くことで、アメリカの社会の階級性を浮き彫りにしています。弁護士一家というのは、典型的なアメリカによくみられるような中流の家庭であり、弁護士サム・ボーデンも、絵に描いたようなアメリカのエリートです。
弁護士という職業そのものに、批判的なまなざしというものもこの映画では向けられていて、物語をより重層的に、複雑な感じに仕上げています。
というのは、この映画において、弁護士サム・ボーデンは過去において、マックスを「正義のために」正しく弁護しなかったという風に主張していますが、それにもかかわらず、この映画を観ていると、いつの間にか、悪役のであるはずのマックスの方に肩入れをしたくなる、そんな描き方もしているからです。
そういった点が、この映画の素晴らしいところであり、悪を徹底的に悪として描く一方で、弁護士一家が持ち合わせているような、善良な市民としての悪辣さも浮き彫りにしているのです。
「悪とは何か」という哲学的なテーマに踏み込んだ映画だと思います。それとともに、映画の終盤にさしかかると、あまりにも強烈なクライマックスにこの映画を観る人は手に汗を握ると思います。(でも、あまり、ストーリーについては詳しくは書きません。)
また、この映画は、アメリカの貧しい人々にとって、一種のカタストロフィーの役割を果たしているのではないかとも思いました。それだけ、アメリカ社会というものが暗部を秘めており、弱者が虐げられて、巨大企業が国を支配するような、ある種の支配構造が全面的になっている社会において、この映画のロバート・デ・ニーロのアンチヒーローぶりというのが、小気味よくうつるであろうことは間違いないからです。
弁護士というような社会における特権階級の人物が、マックスのようなチンピラによって翻弄されるというストーリー、ここに何かこの映画の秘密、アメリカ社会の内に秘めた憎悪というものが感じられてならないのです。
エリン・ブロコビッチ
2007.06.29(16:54)
原題 Erin Brockovich2000年 アメリカ
製作 ダニー・デヴィート、マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェール
脚本 スザンナ・グラント
監督 スティーヴン・ソダーバーグ
撮影 エド・ラッハマン
音楽 トーマス・ニューマン
主演 ジュリア・ロバーツ、アルバート・フィニー、アーロン・エッカート
巨大企業を相手に集団訴訟を行なった実際の女性を描いたストーリーで、この映画の主人公の女性の役をジュリア・ロバーツがやっています。
実に、爽快なストーリーであり、また、現代の企業社会というものを考える上で非常に重要な作品であると考えます。
企業が垂れ流した公害によって無数の人々が病気で苦しみ、それに対するレジスタンスというものを、一人の女性が立ち上がることによって、また、裁判という合法的な手段によって成し遂げた素晴らしい物語であると思います。
主人公のエリンという女性が、勝気で向こう見ずで、そして、魅力的であったということ、そういった描き方も、作品を面白くする一つの要因になっています。
また、エリンの恋人役であった、隣に引っ越してきた男の「とぼけブリ」というか、その競争社会から距離を置いた男の生き様というのも、ひっそりとではありますが、エリンの性格というものを際立たせる上で重要な点であると思います。
その男というのは、バイクに乗った中年のヒッピーであって、この映画で問題とされた巨大企業というものと正反対のような存在になっています。このヒッピーの男によって、この映画のかなりきつい雰囲気というのが薄められているのです。つまり、いいバランスを保っているということです。
この手の、反骨精神バリバリの作品を作った場合、特に左翼的な思想というものを前面に押し出した場合は、教条主義的なものに陥るか、イデオロギーがむき出しになった、とてもエンターテインメントとして楽しめるものではないものになりがちです。
でも、このエリン・ブロコビッチは、エンターテインメント性を堅持しつつ、企業批判を行なった映画であるという点で、特にすぐれた映画だと私は思います。
巨大企業の悪というものが、現代はあまり批判されることもなく、企業の存在そのものもほとんど、すでに身近にあるものとして、当たり前のものとしてとらえられがちです。
だからこそ、問題意識を持つことは重要なのですが、世の中全体が問題意識を持たないような風潮で溢れかえっており、そうした風潮が保守の動きというものを強めています。
そうした現状において、このエリン・ブロコビッチのような映画を観ることは爽快な体験であり、弱者の視点、また、支配される側の視点からこういった映画が作成されたという事実において、まだ、この世の中も捨てたもんじゃないと私は感じました。
アメリカン・ジゴロ
2007.06.29(16:45)
原題 American Gigolo1980年 アメリカ
製作 ジェリー・ブラッカイマー
脚本 ポール・シュレイダー
監督 ポール・シュレイダー
撮影 ジョン・ベイリー
音楽 ジョルジョ・モロダー
主演 リチャード・ギア、ローレン・ハットン
この映画はリチャード・ギアのファンであれば、どうしてもおさえておかなければならない作品であると思います。
ストーリーは、ビバリーヒルズの高級住宅街で金持ちの女性専門のホストの仕事をやっていた男ジュリアン(リチャード・ギア)が、上院議員の夫人ミシェルと知り合い、その後、複雑怪奇な事件に巻き込まれていくというサスペンスです。
サスペンスとしての面白さという点ですと、あまり高評価というものを与えることは残念ながら出来ません。
しかし、リチャード・ギアがホストの役をやっていて、この映画の題名にもあるように、アメリカン・ジゴロということで、「アメリカ人が抱くジゴロ観」というものがとてもよくわかり、その意味で大変興味深い映画になっています。
圧巻なのは、リチャード・ギアが「肉体を鍛錬する」といって、逆さづりになり、ウェイトトレーニングをするシーンです。
また、作中ではリチャード・ギアは、ヨーロッパの言語を何ヶ国語も喋れるという設定になっており、これなどは、作り手の卑屈な感情が投影されているのではないか?といった勘繰りもしたくなるような人物描写のやり方です。
そうではあっても、この映画の中で、リチャード・ギアがオープンカーを乗り回し、マチスモ(男性優位主義)をあからさまに主張するかのようなたくましい肉体を誇示し、何ヶ国語も喋るというようなインテリ性も持ち合わせているという人物設定には、これはあくまでフィクションとしてそれを受け入れるならば、そして、この映画をある種の漫画として楽しむのであれば、十分にエンターテイメントとしての価値を持っている作品だと私は思います。
モーターサイクル・ダイアリーズ
2007.06.29(16:38)
原題 Diarios de motocicleta2003年 イギリス、アメリカ、ドイツ、アルゼンチン、ペルー
製作 マイケル・ノジク、エドガード・テネンバウム、カレン・テンコフ
脚本 ホセ・リヴェーラ
監督 ウォルター・サレス
撮影 エリック・ゴーティエ
音楽 グスターヴォ・サンタオラヤ
主演 ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ
この作品は、正直言って、あまり見ごたえといったものがありませんでした。
ストーリーは、若き日のチェ・ゲバラを扱ったもので、チェ・ゲバラが革命をする前の、南米をオートバイで旅したときの話を再現した映画です。
この映画は、最初の2、30分くらいというのは、「どんな冒険旅行が展開されるのだろうか?」というものすごい期待感でもって観始めるのですが、物語に入り込めず、ひどい消化不良感でもって映画を観終わったというのが正直なところです。
若き日のチェ・ゲバラということで、そしてまた、無軌道に奔放な青春時代を送ったということで、また、恋多きゲバラという側面も映画の最初のほうでは強調されていましたが、そういった側面というのは映画の全体部分では捨象されていて、単なる英雄物語というか、若い青年というものがきれいに描かれすぎているという印象をもちました。
ただ、南米旅行の映画という点で考えてみると、この映画はオートバイでもって、放浪者のように南米を旅行していますし、旅行好きな人は旅行気分を満喫するためだけでも、観ておいて損はない映画であると思います。
映像そのものが美しいですし、自然が豊かな南米の大地というものが映像を通してよく伝わってきます。
古いオートバイで南米を旅行するというその旅のやり方というのもとてもロマンチックであり、冒険的であり、テーマそのものに関しては申し分ない、すぐれた作品であると思います。
アンカーウーマン
2007.06.29(16:32)
原題 Up Close & Personal1996年 アメリカ
製作 ジョン・アヴネット、デイヴィッド・ニックセイ、ジョーダン・カーナー
脚本 ジョーン・ディディオン、ジョン・グレゴリー・ダン
監督 ジョン・アヴネット
撮影 カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽 トーマス・ニューマン
主演 ロバート・レッドフォード、ミシェル・ファイファー、ストッカード・チャニング、ジョー・マンティーニャ、ケイト・ネリガン
アンカー・ウーマンという映画は、アメリカにおける立身出世の物語というものを非常にうまい形で解説し、集約したような映画です。
ストーリーは、テレビ局のアンカー・ウーマンを目指すタリー(ミッシェル・ファイファー)が、地方のテレビ局において、プロデューサーのウォーレン(ロバート・レッドフォード)と出会い、互いに心惹かれあい、タリーはキャリアの上で出世していきますが、その過程をウォーレンとの恋愛関係を軸に描いた物語です。
この映画を観ると、アメリカのテレビ局内の熾烈さを極めるその競争のようすというものがまずわかります。それとともに、アメリカ特有の能力主義、能力査定といった事柄も、映画をみているとよくわかります。
それは、タリーがそのへんてこなパーソナリティーにもかかわらず、能力と天分を味方につけて、非常にスムーズな形で出世していく、その過程の描き方によくあらわれています。
日本の会社社会というものと対比させてこの映画を観てみると、また違った趣があらわれるに違いないでしょう。
また、このアンカー・ウーマンという映画では、プロデューサーのウォーレンが、タリーを「大人の男の熟慮」というものでもって接していき、ついには自分に対して夢中にさせるその過程というのもみていてとても面白いです。
ひらたくいうと、この映画でタリーは“じゃじゃ馬”の女性なのですが、そのじゃじゃ馬に対して、経験を広く積んだ男のウォーレンが、大人の男の魅力でもって接しているという部分に注目せざるをえなかったのです。
そのウォーレンを、ロバート・レッドフォードが演じているのも、渋さを際立たせる上で重要なことだったでしょう。ロバート・レッドフォードというのは、若い頃というのは、映画スティングなどのように、向こう見ずな若者、元気あふれる若者のような男を演じていましたが、年をとるにつれて、どんどん魅力を増していった俳優であると思います。
このアンカー・ウーマンという映画の中では、映画のはじめのほうで、地方のテレビ局の面接に行ったタリーが家に帰ったあとに、ウォーレンがタリーの家に訪ねていくシーンがあり、ウォーレンがタリーの家を去るときに、「寝に来たと思ったか?」と尋ねるセリフがあります。
このセリフに、ロバート・レッドフォードの魅力が存分に詰まっているような気がして、たった一言のセリフというものが、映画を妙に印象深くする場合もあるものだと改めて感じました。
ブリジット・ジョーンズの日記
2007.06.29(00:01)
原題 Bridget Jones's Diary2001年 アメリカ
製作 ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ジョナサン・カヴェンディッシュ
脚本 ヘレン・フィールディング、アンドリュー・デイヴィス、リチャード・カーティス
監督 シャロン・マグワイア
撮影 スチュアート・ドライバーグ
音楽 パトリック・ドイル
主演 レニー・ゼルウィガー、ヒュー・グラント、コリン・ファース
この映画は、現代のイギリスの生活というものを描いたすぐれたラブ・コメディーであると思います。
主人公のブリジット・ジョーンズ(レネー・ゼルウィガー)は、この映画でかなりユーモラスな演技をしており、この女優の演技力の幅というものを強く感じました。
遊び人で出版社の編集長という役を、ヒュー・グラントが演じ、真面目一徹の弁護士の男をコリン・ファースが演じています。
この性質が異なる二人の男に対して、内面の恋情が揺れ動くという筋立てですが、それは古典的なプロットであるにもかかわらず、映画の最後まで楽しく観れてしまうのは、脚本がやたらとすぐれているという点と、この三人の演技力によるものでしょう。
ヒュー・グラントは、徹底的にこの映画では悪人というものを演じていますし、「悪であるが憎めない人間」という部分をうまく出しています。そういった人物描写というのは非常に大切なことであり、ヒュー・グラントが出演した「アメリカン・ドリームズ」という映画では、あまりにもヒュー・グラントが演じた男の悪人性というものだけが際立ってしまい、残念な結果になっています。
このブリジット・ジョーンズの日記のような作品が人気を博したのは、何かこう時代が保守的な方向性をもって動いているという気がします。かつては女性の自由な生き方というものが手放しに礼賛された時代があり、そういった時代であれば、この映画はあまり流行らなかったと思います。
この映画が主張しているメッセージというのは、煎じ詰めれば、幸福な結婚ということになるし、そこから現実的に疎外された人々というのが今の世の中にいて、その人々にスポットを当てて、見事にその生活というものや、願っている幸福を浮き彫りにしたからこそ、そこにヒットの原因があるのでしょう。
レネー・ゼルウィガーは、このブリジット・ジョーンズを演じるために、体重を増やしたりだとか、イギリス英語をマスターしたりしたとかで、役作りに大変苦心したとのことです。そうした職人気質というものは、ロバート・デニーロのような役者にも通じるものがあって、やはり、レネー・ゼルウィガーは一級のハリウッド女優であるとあらためて感心しました。
ファイブ・イージー・ピーセス
2007.06.28(23:51)
原題 Five Easy Pieces1970年 アメリカ
製作 ボブ・ラフェルソン、リチャード・ウェクスラー
脚本 エイドリアン・ジョイス
監督 ボブ・ラフェルソン
撮影 ラズロ・コヴァックス
主演 ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック
この映画は世代を超えて、また時代を超えて、放浪者というものをよく描いていると思います。
ジャック・ニコルソン扮するボビーは、石油採掘場で肉体労働者として生活の糧を得ていましたが、その激しい気性と自由を求める感性によって、とうとう職場を退職してしまいます。
職場を退職してから、ボビーは実家に恋人とともに帰るわけですが、映画はロードムービー的な色合いをもって、愛情や、人間の自由というものは何か?というものを描いています。
この映画を観ていて、ふと「男はつらいよ」のあの寅さん映画を思い出しました。ファイブ・イージー・ピーセスでは、主人公のボビーは裕福な音楽家の家を飛び出したという設定になっていますが、ひょっこり、実家に帰ってその後また旅立ってしまう筋書きなど、「男はつらいよ」の映画に似ているところがあり、どこも放浪者の心性というのは変わらないものであるなあというのが映画を観た印象です。
ただ、主人公のボビーとその父親との愛情の相克であるとか、その辺の家族愛の問題についてだとかはあまり深く掘り下げてあるようには感じられず、映画を観たあとに深い感動をもたらすというようなことはないのが残念です。
ボビーとその家族というのが、一風変わった家族という意味では、その限りにおいては描かれているにもかかわらず、それ以上のメッセージというものがあまり伝わってこないのです。
アメリカを旅するロードムービーという観点からすると、この映画はまさに一級品といえるもので、アメリカの荒野の果てしなさであるとか、アメリカの田舎人の暮らしだとか、ヒッピー文化全盛の頃のアメリカを旅するという意味では、映像的にすぐれた作品であると思います。
エリザ
2007.06.28(23:43)
原題 Elisa1995年 フランス
製作 クリスチャン・フェシュネール
脚本 ジャン・ベッケル、ファブリス・カラゾ
監督 ジャン・ベッケル
撮影 エティエンヌ・ベッケル
音楽 ズビグニエフ・プレイスネル、セルジュ・ゲンズブール、ミシェル・コロンビエ
主演 ヴァネッサ・パラディ、ジェラール・ドパルデュー、クロチルド・クロー、セクー・サル
この映画を観ると、現代フランス社会というものの暗部を垣間見ることができます。
ストーリーは、孤児院で育った少女マリー(ヴァネッサ・パラディ)が、父親を探す旅に出るという話です。
ジェラール・ドパルデューが父親の役をやっており、年老いたピアノ弾きの役を熱演しています。
親子の愛情というものが映画全体のテーマになっていますが、それだけではなくて、貧困の問題であるとか、フランス社会における移民の問題といったものが、うまく描かれていて作品全体は様々なテーマを一度に扱った非常に深い映画になっています。
愛情と憎しみというものは表裏一体であるということを、この映画はよく伝えていて、ただ、この映画に救いがあるのは、主人公の少女マリーが悲劇の人生を送りながらも、父親を探す旅を続ける過程で、人間に対する信頼をだんだんと取り戻していく、というところにあるのでしょう。
主人公の少女マリー(ヴァネッサ・パラディ)が、父親と会うことによって、それまで男は自分の思いのままであると思っていたのが、老練の父親にちょっと振り回されるといった部分は、この映画の中々の見所部分であって、興味深い点ではあります。
つまり、少女マリーは父親と出会う前には、完全に男性を鼻からなめてかかっていて、交際する男性は金ズルぐらいだとしか思っていなかったのが、父親はその少女の悪徳を上回るほどの人生経験の持ち主であって、少女の最初の目論見通りにことが運ばないというところが面白いのです。
その一方で、だらしがなく、とんでもない父親に対して、だんだんと心を開いていく、少女マリーの心の動きの描写といったものも、とてもうまく描かれています。
また、ジェラール・ドパルデューはこの映画で、実に味のある演技というものをしており、無骨ながら、気取りや気張りといったものを一切感じさせない、人生の酸いも甘いもかみわけたオヤジといったオヤジ像を、非常にうまい演技で提示しています。
実にいい映画です。
観終わったあとに心に残る映画という意味では、このエリザという映画ほど、人の心の中に入ってくる映画はないでしょう。商業映画という枠をある種、超えていると思います。
パッショネイト 悪の華
2007.06.28(18:38)
原題 Village Dreams1983年 アメリカ
製作 ジーン・カークウッド
脚本 ヴィンセント・パトリック
製作 ジーン・カークウッド
脚本 ヴィンセント・パトリック
監督 スチュアート・ローゼンバーグ
撮影 ジョン・ベイリー
音楽 デーヴ・グルーシン
主演 ミッキー・ローク、エリック・ロバーツ、ダリル・ハンナ
この映画はチンピラ・マフィア映画の佳作ではないかと思います。
カテゴリー的には、マフィア映画の範疇に入るかもしれませんが、もっと細分化するのであれば、チンピラ・マフィア映画なのです。
舞台はニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジであり、レストランの支配人であったチャーリー(ミッキー・ローク)は、弟分のポーリー(エリック・ロバーツ)が伝票をごまかしたせいで、二人ともレストランを解雇されるという憂き目にあってしまいます。
チャーリーは、恋人のダイアン(ダリル・ハンナ)からまともな職業につくことをすすめられますが、弟分のポーリーから金庫破りの仕事をもちかけられ、ためらいながらもだんだんと悪の道に引きずりこまれていく、というストーリーです。
ミッキー・ロークのファンであれば、この映画は十分に楽しめる映画であると思います。ミッキー・ロークの出演映画では、「ナイン・ハーフ」の方が名作であろうことは、これはもう誰の目にも明らかですが、この「悪の華 パッショネイト」という映画が、どんなにつまらない、取るに足りない作品であろうとも、そうした作品のつまらなさを補うだけの存在感、演技力というものをミッキー・ロークがもっています。
この映画のストーリー全体に目を向けると、成功を夢見るチャーリー(ミッキー・ローク)が、ドジな弟分のポーリー(エリック・ロバーツ)に常に足を引っ張られるという構図になっていて、それがどうもこの映画の主題ではないか?という気がしてくるのです。
チャーリー(ミッキー・ローク)が弟分のポーリー(エリック・ロバーツ)のダメさ加減に気がつきながらも離れられないでいるというのは、チャーリーの人のよさであって、どちらもチンピラではありながらも人間の本質的な部分で悪になりきれない、人間の弱さというものを描いている映画だという風にも思います。
端役で圧巻なのは、エディ(バート・ヤング)であり、彼は組織のボスを熱演していて、脂ぎった顔つきとギョロリと光る目が、この映画に緊張感と凄みといったものを与えています。
この映画を観終わったあとというのは、ちょっと消化不良感をおさえられないプロットという印象をもちましたが、ニューヨークの場末の雰囲気であるとか、ミッキー・ロークの冴え渡る演技といったものを加味すると、やはり、チンピラ・ギャング映画としてはかなりの重要性をもった映画なのではないかという感想を持ちました。
アメリカン・ドリームズ
2007.06.28(10:18)
原題 american dreamz2006年 アメリカ
監督 ポール・ウェイツ
主演 ヒュー・グラント、デニス・クエイド、マンディ・ムーア、ウィレム・デフォー
激辛のブラックコメディーという風評をきいて、それとともに、ヒュー・グラントが出演している映画であるということで観てみましたが、いまいちという印象を持ちました。
ストーリーは、ヒュー・グラント扮するやり手のテレビ番組プロデューサー、マーティン・トゥイードの人気テレビ番組が引き起こすコメディーです。
この映画では、民族の問題であるとか、アメリカ人の階級的諸矛盾といったことが、「ブラック・コメディー」として扱われているということになっていますが、正直言って、あまり笑えるブラック・コメディーであるとはいえなかったです。
それは、この映画の主要な登場人物たち、たとえば、マーティン・トゥイード(ヒュー・グラント)や、サリー・ケンドゥー(マンディ・ムーア)などに対して、魅力を感じなかったということが大きな痛手であったかもしれないです。
この二人は、いわゆる、ちょっと嫌な奴として映画の中では描かれていますけれども、それはいいとして、そうであるならば、アンチヒーローとしての魅力が十分に伝わってこなければ観ている観客というのはかなり不満をもらすに違いないということなのです。
登場人物はいずれも人物描写が中途半端であり、そのことは結局、このアメリカン・ドリームズという映画が何を言いたかったのか?ということが伝わってこないということにつながります。
もう一つ、不満な点をあげると、この映画ではアメリカの外交問題などを批判するようにみせかけておきながら、実はかなり、保守的な映画なのではないか?という印象をもったことです。
合衆国の大統領を批判するような表現がところどころにみられますが、それにしたところで風刺の仕方が中途半端であり、この映画の結末をみて、非常に日和見主義的な終わらせ方というものに不満を覚えたのです。
一方で、この世界におけるマイノリティーを小ばかにするような風刺の仕方をもちいて、おそらく、この映画の作り手はそれを「ブラックユーモア」だといいたいのでしょうが、そのブラックユーモアがこの映画の場合ですと、かなりデリカシーの欠如した、観る人をちょっと嫌な気持ちにさせる、残念な映画になっています。
サム・サフィ
2007.06.28(10:01)
原題 Sam Suffit1992年 フランス 日本
製作 ミシェル・プロペール
監督 ヴィルジニー・テヴネ
撮影 ジャン・フランソワ・ロバン
音楽 キザイア・ジョーンズ
主演 オーレ・アッティカ、フィリップ・バートレット、ロッシ・デ・パルマ
この映画は実にフランス的な映画であり、またなおかつ、真にフランスというものを体現した映画であると思います。
バルセロナで自由奔放な生活を送るエヴァ(オーレ・アッテカ)は、「普通の生活ってどんなだろう?」という疑問を抱き、パリで家政婦や、事務員の職業などを経験しながら、「普通の生活」というものを探っていきます。
エヴァの周りには、芸術家のゲイの男や、風変わりな友人ばかりです。そんな環境の中で、また、パリで職を求め、一人暮らしをし、賃金労働に勤しむ過程を通じ、芸術家からみた普通の生活というものが浮き彫りにされていきます。
こういった趣向の映画は実に肩が凝らなくていいですね。常識にとらわれないエヴァの生き方というものが、映画を観る人にちょっとした刺激を与えると思います。
女性の一つのお洒落な生き方として、この映画が上映された当時、「サム・サフィ現象」という現象を巻き起こしたということですが、真偽のほどは私はよく知りません。
このサム・サフィで、映画の中で、金魚蜂の中で金魚を飼っているシーンがあって、エヴァが「金魚蜂の中が殺風景で可愛そうだ」といって、金魚蜂の中に家具のミニチュアをこしらえるというシーンがあるのですが、あれなど、実にフランス的でキッチュな趣向でいいと思いました。
世間の因習にとらわれない生き方であったり、新しい表現というものは、現代はとても難しくなっていると思います。というのは、たいていのことがやり尽くされたという感があって、何か突飛なことをやろうとしたところで、もうすでに誰かがやってしまっているという、そういった停滞感の中で、非常に矮小な表現というものがこの現代社会を覆っていると思われます。
そういった閉塞した現代ではありますが、このサム・サフィという映画をみると、芸術というものの本来のあり方というものが非常に素朴でありながらも、直接的な形でわかりやすく観る人に伝わってくる、そんなすぐれた映画だと思います。
恋するための3つのルール
2007.06.28(09:52)
原題 MICKEY BLUE EYES1999年 アメリカ
製作 エリザベス・ハーレー
脚本 アダム・シェインマン、ロバート・クーン
監督 ケリー・マキン
音楽 バジル・ポールドゥール
主演 ヒュー・グラント、ジーン・トリプルホーン、ジェームズ・カーン
ヒュー・グラントが出ている作品ということで、チェックしてみましたが、やはりこの映画もなかなか素晴らしいロマンチック・コメディーに仕上がっています。
ヒューグラント扮するマイケルは古美術のオークションを仕事にしている人物で、恋人のジーナ(ジーン・トリプルホーン)に結婚を申し込みますが、彼女の父親がマフィアであることを知って、それから結婚までを描いたドタバタ・ラブ・コメディーです。
ヒュー・グラントが実にコミカルで、映画もユーモアに満ちていて、イギリス的な風刺もよくきいた、ピリッとした作品に仕上がっています。
この映画の場合、マフィアが出てきていますが、そのマフィアのディテールを丹念に描くことで、映画そのものに迫力と真実味というものを与えています。
マフィアとは正反対にみえるヒュー・グラントだからこそ、そのキャラクターのギャップに観衆は面白みを感じ、カルチャーの違いから生ずる人的交流のズレというものにおかしみを感じるのでしょう。
本質的に、暖かみのある映画であり、生活に疲労しているときになごめる映画です。
フォー・ウェディング
2007.06.28(00:12)
原題 Four Weddings and a Funeral1994年 イギリス
製作 ダンカン・ケンウォーシー
脚本 リチャード・カーティス
監督 マイク・ニューウェル
撮影 マイケル・コールター
音楽 リチャード・ロドニー・ベネット
主演 ヒュー・グラント、アンディ・マクドウェル
この映画はイギリスの結婚式を題材に、ヒュー・グラントとアンディー・マクダウェルの二人のラブコメディーです。
真にハッピーな映画であるとともに、結婚と恋愛の意味合いの違いというものをこの映画を通して知ることができます。
ヒュー・グラントというのは、どうも「誠実そうな役柄」というもので映画に出演することが多いらしく、この作品もやはり、誠実そのものといった好青年を演じきっています。
また、相手役のアンディー・マクダウェルは、妖艶なアメリカ女性というものであって、非常に肉付きのいい、色気のたっぷりある、妖しい魅力に富んだ女性というものを演じています。
独身貴族の孤独というものが、この映画にはよくあらわれていて、自由奔放で気ままな恋愛を楽しんでいた男(ヒュー・グラント)が、その自由さの影に持つ、底知れぬ孤独といったものが映画を通して浮き彫りにされていきます。
このヒュー・グラントとアンディー・マクダウェルの両者は、二人ともかなり異なったパーソナリティーを備えていながらも、同質の価値観を備えた二人であるという部分も映画をみていくとよくわかります。すなわち、どちらも、結婚というものを意識していながら、理想の相手にめぐり合うことが出来なかったという点です。
孤独というものを扱ったヒュー・グラントが出演していた映画で、「アバウト・ア・ボーイ」という映画もありますが、これもフォー・ウェディングとあわせておすすめです。
どちらも現代社会の一つの病であると思われる、都会人の孤独というものをテーマにしており、社会の構造の中でばらばらになった個人が、孤独を心に抱えつつも、それにしたところでなおかつ生きていかなければならぬというテーマを通して、人間が社会に生きるとはどういう意味かという問題について考えさせられる映画なのです。
レッドブル
2007.06.28(00:02)
原題 Red Heat1988年 アメリカ
製作 ウォルター・ヒル、ゴードン・キャロル
脚本 ハリー・クライナー、ウォルター・ヒル、トロイ・ケネディ・マーティン
監督 ウォルター・ヒル
主演 アーノルド・シュワルツェネッガー、ジェームズ・ベルーシ
この映画は東西冷戦期のアメリカとソ連を象徴するような映画という風にいえば、少しは格好がつくかと思われましたが、純粋なアクション映画であると思います。
シュワルツネッガーがコメディー的な演技をしている部分も見逃せないところです。
ストーリーは、旧ソ連から逃亡した悪人を追って、旧ソ連の警察官のイワン・ダンゴ(アーノルド・シュワルツネッガー)がアメリカのシカゴに行くという話です。
シカゴの警察官とコンビを組んで、悪人を追うわけですが、その追跡の過程の中で、その当時の旧ソ連だとか、社会主義国家を半ば、揶揄するような結構、際どいブラックなジョークが垣間見れて、時代を感じさせてとても面白いです。
以前、ヨーロッパを旅したときに、モスクワの空港でトランジットしたのですが、そのときに、この映画、レッドブルのイワンのような制服を着たロシア人がいて、時計をそのときもっていなくて、時間を聞いたら、むっつりとした顔で時間を教えてくれました。
そのときに、このレッドブルを思い出して、ひとりほくそえんだことを覚えています。
レッドブルにおけるロシア人の描き方というのは、かなり定型的であるときは漫画的ですらあるのですけれども、そのあたりの馬鹿馬鹿しさというのは、アメリカ映画の最も得意とするところらしく、また、私も個人的にはレッドブルは非常に好きな映画です。
アルフィー(1966)
2007.06.27(15:19)
原題 Alfie1966年 イギリス
製作 ルイス・ギルバート
監督 ルイス・ギルバート
撮影 ビル・カートリッジ
音楽 ソニー・ロリンズ
主演 マイケル・ケイン、シェリー・ウィンタース、ミリセント・マーティン、ジュリア・フォスター
この1966年に作られた映画、アルフィーはマイケル・ケインが出演しています。
ストーリーは、ロンドンに住む運転手の男アルフィー(マイケル・ケイン)が無軌道に女性遍歴を繰り返す、異色のラブコメディーです。
こういった作品、すなわち、一夫一婦制に理念に反するような、ある種の天真爛漫で放埓の限りをつくすといったテーマの作品、すなわち、カサノヴァ的な生き方というのは、ある意味、社会的なモラルに反するという意味で、悪の権化ではありますけれども、一方で非常に魅力的です。
ばかばかしい話ではありますけれども、いつの時代も男たちというのは、そういったカサノヴァ的生き方というものに一種の魅力やロマンを感じるものなのです。
2004年にこのアルフィーはリメイクされ、そのときはジュード・ローが出演しました。1966年のオリジナル版と比較すると、マイケル・ケインが演じているアルフィーは、かなり男尊女卑的であって、交際した女性を自分の意のままにコントロールしようという傾向が強いように思われます。
マイケルケインはこの映画で、悪の魅力というものを存分に発揮しており、「ペテン師と詐欺師」という映画では、老年の結婚詐欺師の役を演じていましたが、このアルフィーという映画でその萌芽がみられるような気がします。マイケル・ケインのファンの方はチェックしておくといい映画だと思います。
アルフィーのラストシーンで、ロンドンのおそらくテムズ川をバックに、マイケル・ケインがモノローグで語るシーンは圧巻です。「人生とは何か?」という問題を、究極的につきつめた映画であると思います。
アルフィー
2007.06.27(15:13)
原題 Alfie2004年 アメリカ
監督 チャールズ・シャイア
出演 ジュード・ロウ、マリサ・トメイ、オマー・エップス、ニア・ロング
1966年に作られた同名の映画のリメイク版ですが、新しいアルフィーのほうはジュード・ローが出演しています。
もともとのアルフィーとは、まったく異なった新しい映画になっていると思います。
ストーリーは、女性好きのプレイボーイのアルフィー(ジュード・ロー)が多くの女性遍歴を繰り返しながら、自分自身の人生について振り返り、自問自答するという話です。
ある種のコメディーとして描かれつつも、男女間の恋愛の悲劇、安定した恋愛関係を継続することの難しさといったものがよく描かれています。
2004年に制作されたこの新しいバージョンのアルフィーは、現代版にふさわしく、スタイリッシュに、ヒップでポップな感じで演出されており、ジュード・ローという役者にぴったりの映画になっています。
舞台がニューヨークというのも、この映画を盛り上げる一つの大事な要素になっているでしょう。ニューヨークであるとすれば、このアルフィーのような人物がいたとしても、あまり違和感が感じられないというか。
多少、難点があるとすれば、途中でアルフィーが謎の老人と出会って、意味ありげな、しかし、あまり意味のなさそうな問答をするシーンがいくつかあって、ああいったものはあまり映画にとって無意味であると思いました。つまり、余計なシーンが効果を発揮するときもあれば、逆に冗長な感じを観る人に与えてしまうということです。
上記の謎の老人のシーンを別にすれば、ほかのアルフィーの数人の女性たちとの交遊を描いた全体的な筋立ては、とてもよくできていて、また、考えさせる映画に仕上がっていると思います。
1966年に作られたアルフィーのオリジナルバージョンは、マイケル・ケインが出演していて、マイケル・ケインのアルフィー像と比較すると、このジュード・ローのアルフィーはかなり女性に対して優しいという印象をもちました。
マイケル・ケインの方は時代を反映しているのか、かなり女性に対して権威的であり、支配的な感じで、男尊女卑的な性質が強く出ています。
さすがに、30数年の時の流れを経て、同じ題材を扱っている映画とはいえ、かなりの違いというものが出てくるものですから、このジュード・ローが出ているアルフィーとともに、マイケル・ケインのアルフィーをみて、両者を比較してみるということも面白いと思います。時代によって、“プレイボーイ像”というものがかなり違っていることがわかります。
また、オールド・ハビッツ・ダイ・ハードというミックジャガーが歌う、この映画のメインソングは、哀愁が漂う、恋愛の切なさというものを感じさせる心にしみる名曲です。
恋人までの距離(ディスタンス)
2007.06.27(15:04)
原題 Before Sunrise1995年 アメリカ
製作 アン・ウォーカー・マクベイ
脚本 リチャード・リンクレイター、キム・クリザン
監督 リチャード・リンクレイター
撮影 リー・ダニエル
主演 イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー
この映画は、ヨーロッパを旅行するのが好きな人にはうってつけの映画だと思います。
ストーリーは、ヨーロッパを列車で旅していた若者のアメリカ人の学生ジェシー(イーサン・ホーク)が、フランス人の女子学生のセリーヌ(ジュリー・デルピー)が列車内でたまたま席が近かったというきっかけで知り合うことから物語が始まります。
二人はウィーンの街を一緒に半日の間過ごすのですが、映画はこの二人の会話を中心にして、またウィーンの美しい街並みを背景にして進行します。
やたらと二人のセリフが多いので、この映画を観たときに最初、びっくりしましたが、映画をみているうちにこの役者が対話をし続けるという形式の物語に次第に魅了されていきました。
ウィーンの街並みがさりげなく撮影されているところもいいですね。
実際にウィーンに行ってみると、この映画に映された画面とはちょっと違った趣がありましたが。何であれ、たとえば、ヨーロッパをバックパックで旅行するなどすると、この映画に出てきたようなシーンにいくつも遭遇するものであって、そういった意味で、旅行好き、バックパッカー志向の人には旅を思い出すという意味でも、非常におすすめの映画であると思います。
旅の途中で恋にめぐり合うというのは、とてもロマンチックな事柄であって、よく使われる筋書きかもしれませんが、それにもかかわらず、この映画はひっそりとした、静かな感動を作品を観たあとに残す映画になっています。
リアリティ・バイツ
2007.06.27(14:57)
原題 Reality Bites1993年 アメリカ
製作 ダニー・デヴィート、マイケル・シャンバーグ
脚本 ヘレン・チャイルドレス
監督 ベン・スティラー
撮影 エマニュエル・ルベツキ
音楽 カール・ウォリンガー
主演 ウィノナ・ライダー、イーサン・ホーク
この映画を初めて観たのは大学生の頃でした。
映画を観るときに、自分自身を映画の作中の人物たちに重ね合わせてしまうということはよくあることであり、また、それが自分について考えることのきっかけになったりもします。
リアリティーバイツは、90年代のアメリカの若者を描いた青春映画です。
この映画の主題というのは、目標を見失った若者の自分探しの旅ということになりますが、いわゆるレジャーランド化した大学において、社会人になった後の、自分自身と社会とのギャップの激しさというものにうまく対応できなくて、右往左往する登場人物たちの様子がよく描かれています。
映画の主人公のリレイナ(ウィノナ・ライダー)は、ドキュメンタリー映画を作ることを夢見る女性でしたが、大学を卒業したあと入った会社で、夢と現実とのギャップに苦しんで、会社を退職してしまいます。
また、トロイ(イーサン・ホーク)は、「まじめに働くことなんてくだらない」といって、その日暮らしの勝手気ままな生活を続けています。
ちなみに、リアリティーバイツとは、「現実は厳しい」という意味であって、この映画のタイトルはまさに実社会に直面して苦しむ若者のようすをとらえています。
仕事というテーマに話をしぼると、「働くことの意味が分からない」という世代の出現ということになりましょう。頑張ってあくせくして働いてそれが何の意味があるんだ?という問いです。トロイの口を通して、そういった生存競争からは降りたいという価値観が語られます。
90年代を生きた私は、その辺りの価値観というものがこの映画をみていても、痛いほどよく伝わってきました。
映画には、トロイと正反対のような性格、価値観の人物であるマイケル(ベン・スティラー)が描かれ、マイケルはいわゆるヤッピーであり、高級外車に乗り回す、金持ちのビジネスマンという設定でしたが、そういった古いタイプの猛烈サラリーマンを批判する、あるいは揶揄する風潮が、90年代には一部で広まったという風に考えています。
翻って、今の時代というものは実に混迷の時代であるなあという風に思えてきまして、価値観というものはどんどん多様化していますし、金銭万能主義の時代に逆戻りしているかのような錯覚を覚えることもあります。
ですが、いわゆる時代論という話は別にして、この映画で伝わってくるメッセージというもので最も大きな部分というのは、学生がいかに誇大妄想の持ち主であるか?ということであって、学生というのは、はっきりいって社会をなめているし、「世界を支配するのは自分たちだ」くらいに自分自身を過信しているということです。
その一方で、経済的な部分は親に依存していたりもするし、実に中途半端な状態なわけです。
そうした中途半端さにもかかわらず、社会人になってから「学生の頃はよかったなあ」という回想にふける人は多いでしょう。
作品では、現実の厳しさという点を徹底的にえぐるような描き方をしていながら、その一方で学生たちが本質的には幸福であるという見方を堅持しているような、そんな映画になっています。
つまり、学生たちの誇大妄想や、自己過信、それと夢や希望をもつということを、完全に否定はしていないのです。だからこそ、余計に考えさせる映画だと思うのです。
トレインスポッティング
2007.06.27(14:49)
原題 Trainspotting1996年 イギリス
製作 アンドリュー・マクドナルド
脚本 ジョン・ホッジ
監督 ダニー・ボイル
撮影 ブライアン・テュファノ
主演 ユアン・マクレガー、ユエン・ブレンナー、ジョニー・リー・ミラー、ケヴィン・マクキッド、ロバート・カーライル
この映画は90年代をあまりにもよくあらわしていると思います。
現代とくらべると、人々の意識状態というものはかなり変化していると思いますし、この映画のテーマの一つであると思われる、「人生の目的を見失い、無軌道な快楽にふける」といった快楽主義のテーマも、ちょっと様相が違ってきているように思います。
それだけ時代が変化して、国際的な経済の競争というものがかなり激しくなっているし、この映画は実に哲学的な作品だとは思いますが、端的にいうと、いまの時代というのは「食っていくこと」のほうがより重要になってきていると思います。
物質的な豊かさというものが最高度に達したかのように思われる90年代だったからこそ、先進国を中心にしてこのトレインスポッティングという映画が、世界中の若者から支持を受けたのではないかと思うのです。
そうであるとしても、この映画は色あせることなく、若い人の心に残り名作となって後世に語り継がれるだろうと思います。
ユアンマクレガーを中心とした登場人物たちが、「アンチヒーロー」としての魅力を存分にふりまいていますし、若い人々が考えること、それは時代が変わっても決して変わりがないことであって、いつの時代でも悩むこと、そしてまた、欲することも変わりありません。
この映画のラストシーンというのは、実に解放的であって、主人公レントン(ユアン・マクレガー)の未来を予感させる、実にさっぱりとした終わり方だったのが印象的でした。
ラストシーンがどうであるか否かというのは、この映画の場合は特に非常に重要なことであると思うのです。
というのは、90年代特有のいわゆる「ジェネレーションX」というものを描いたのであれば、今までの日常が続いてしまうのか、それとも華々しい、何かとてつもないアクシデントとともに、それまでとは全く異なった人生を歩むようになるのか、、、その辺りはきっとこの映画の作り手たちは相当頭を悩ませたことだと思います。
もう一つ、この映画のよい点をあげるとするならば、トレインスポッティングという映画は、映画を観始めたとたんに、この映画の主人公のレントンの目で作中の風景を眺め、退廃の匂いがあたかも漂ってくるような、そんな雰囲気さえ味わわせてくれるという点です。
このいわゆる退廃というテーマに関しては、退廃に身を滅ぼすほどの勇気や才能を持っていない人物であれば、映画を観るなり、本を読むなりして、退廃を追体験するほかはなく、かくいう私も退廃を求めつつも、ついに退廃を手に入れることが出来なかった人間の一人でありまして、こうしてトレインスポッティングのような映画を通して、退廃の味の何たるかを想像するしか方法はないわけです。
退廃を学習するという意味でのトレインスポッティングの教育効果というのは、おそらくかなりのものであると思います。
恋の邪魔者
2007.06.27(14:41)
原題 Viens chez moi j'Habite chez une copine1980年 フランス
製作 クリスチャン・フエシュネール
脚本 パトリス・ルコント、ミシェル・ブラン
監督 パトリス・ルコント
撮影 ベルナール・ジツェルマン
音楽 ルノー
主演 ミシェル・ブラン、ベルナール・ジロドー、テレーズ・リオタール、アネモーヌ
パトリス・ルコントの映画の中でも、この恋の邪魔者は映画監督、パトリス・ルコントの精神史というものを考える点で非常に重要な作品なのではないかと思います。
ミッシェル・ブランが職を転々とする女性にだらしがない主人公を演じていて、その親友を巻き込んだ喜劇になっています。
この映画の魅力としては、フランスのパリの日常というものをあますところなく伝えているというところであり、パリが好きな人であれば、また、パリに強い憧れをもっている人であれば、それだけでもみる価値がある映画であるといえるでしょう。
この映画の公開当時、フランスで70万人を動員する大ヒットを記録した映画ですから、それだけパリ市民の日常生活、また、フランスの精神というものを体現していたということでしょうから、フランスを理解する上でも役に立つ映画であるに違いありません。
後期のパトリス・ルコントの作品と比較すると、かなり芸術色というものは抑えられていて、完全な商業映画という感じではありますが、それにもかかわらず、いや、それだからこそ、市井の人々を映画という手段を用いて描ききったその才能というものに脱帽するしかないのです。
パトリス・ルコントという監督が、冷静な目で当時のパリ社会というものを実によく観察し、その観察の中からああいった咀嚼しやすい、高級な娯楽映画が生まれたのだと思います。
また、パトリス・ルコントという人の、暖かい人間観、すなわち、人間をみる目というものが実に優しいということが、この恋の邪魔者という映画から実によく伝わってくるのです。
ルコントの諸作品を理解する上での重要な鍵になる作品ではないかと思います。
仕立て屋の恋
2007.06.27(04:42)
原題 Monsieur Hire1989年 フランス
製作 フィリップ・カルカッソンヌ、ルネ・クレトマン
脚本 パトリス・ルコント、パトリック・ドヴォルフ
監督 パトリス・ルコント
撮影 ドニ・ルノワール
音楽 マイケル・ナイマン
主演 ミシェル・ブラン、サンドリーヌ・ボネール、
この映画は、切ない孤独な男の愛を綴った物語です。
ストーリーは、のぞきをして仕立て屋の男(ミッシェル・ブラン)が、のぞきをされていた女(サンドリーヌ・ボヌール)と知り合い、屈折した愛情を女に捧げるという物語です。ミッシェル・ブランが素晴らしい演技をしていて、孤独な男という役柄と、偏執的なちょっと気持ち悪い感じの表情というのを巧みに演出しています。
この役柄のミッシェル・ブランをみると、とても「恋の邪魔者」に出ていた同じ人物だとは思えないほどの素晴らしい演技力というものを感じました。
物語本体の話でいうと、パトリス・ルコントというひとは、人間の自意識を解剖するということが実にうまい監督であるという按配で、映画の中の仕立て屋の男が気持ち悪ければ気持ち悪いほど、また、彼が近所の人々から嫌われていればいるほど、この仕立て屋の男の心情というものが実によく伝わってくるというものでした。
要するに、仕立て屋を、「人間嫌いの偏屈」という人物に外見上はみせていて、偏屈ゆえに一般社会からは疎外されていますが、実は非常に誠実な心根をもった人物という風に描いています。
この仕立て屋の恋の、仕立て屋のような人物は意外とこの世の中に多く存在するのではないかと推察されます。すなわち、自己の感情を表現したり、自分の意見を言うことが苦手な人物、普通、コミュニケーションが苦手な人などといわれます。
もちろん、そうした人物のすべてが、コミュニケーションが下手だけれども、徳が高く、誠実な人間であったりするわけではありません。
しかし、パトリス・ルコントがこの仕立て屋の恋で描こうとしたのは、そうした目に見えない部分、人間の心の内奥の心理状態だったのではないかと思うのです。
この映画をみて、暗い映画であると一言で済ませてしまうことも出来ますが、それでも、共感する人々はきっと多いに違いないと思うのです。それだけ、他人に対して自分自身の気持ちを伝えるということは困難を極めることであるし、ちょっとした誤解というものが人間関係を破壊したり、とりかえしのつかないことになったりするものだからです。
イヴォンヌの香り
2007.06.27(00:01)
原題 Le Parfum d'Yvonne1994年 フランス
製作 ティエリー・ド・ガネー
脚本 パトリス・ルコント
監督 パトリス・ルコント
撮影 エドゥアルド・セラ
主演 イポリット・ジラルド、サンドラ・マジャーニ、リシャール・ボーランジェ
実にいい映画だと思います。
南仏で貴族的な生活を送る主人公ヴィクトールと、謎の女イヴォンヌの二人の恋愛を描いた作品ですが、非常に芸術至上主義的な映画であり、パトリス・ルコントの気合が入った作品だと思います。
これは上記の二人の恋愛を扱う一方で、ゲイの医者との三人の三角関係をも描いており、一言でこの映画を表すのなら、「徹底的にキザである」ということになりましょうか。
ただ、それが嫌味にならないのは、パトリス・ルコントの洗練された手法によるものであって、おそらく、ヨーロッパやフランスというものにかぶれた人間であれば、このイヴォンヌの香りという映画は抵抗なく受け入れられるものであると思います。
また、この映画のよさをあげるとするならば、映像がブルーを背景とした幻想的な効果をねらったシーンがあって、それは特にロマンチックな映像美となって映画を観る人の心を揺さぶるものとなっています。
ただ、




